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分担研究概要
ヒト循環器系のマルチスケール計算体力学に関する研究
山口 隆美*,石川 拓司
医工学研究科 医工学専攻 生体機械システム医工学講座
計算生体力学研究分野 教授
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1. はじめに
我々生命体と環境との相互作用を考える上で、生命体の物理的な基盤である体を構成している力学的な原理を考えなければ、本質的な理解には到達できない。分子を構成し、その作用を規定するものが広い意味での電磁気的な力であるとすれば、我々が目にすることができる生命体の諸構造、細胞、組織、器官、系、そして身体そのものを構築している力学的な作用は、これらのすべてのレベルで働いている力学的な相互作用である。このような空間的および時間的なレンジが非常に広い個別の現象と相互作用の複雑な糸をほぐして体系的に理解するためには、複雑な現象を取り扱うのに適した計算生体力学は強力なツールとなる。
心臓血管系、すなわち、血液の流れに関わる力学においては、従来からいくつかの基本的問題が指摘されている。それらは、血液が流動する場の幾何学的形状の複雑性や、血管壁の変形性、心臓の拍動から全身的なレベルの血流調節までを含む非定常性、血液を含む生体内の流動体の多相性にもとづく非線形な構成則などである。これらの基本的問題は、それぞれ別個に存在するのではなく、たとえば、心臓の拍動にともなう圧力変動が、空間的に分布する柔らかさをもつ血管壁を変動させることや、非定常な駆動力によって誘起される流れと複雑な幾何形状の相互作用など、常に絡み合っている。従って、計算生体力学の手段でこれを解明しようとするなら、必然的にその手法はいわゆるマルチフィジックスとならざるを得ず、ミクロスケールからマクロスケールまでの広い分解能をもったものでなければならない。
2. 循環器系の計算生体力学
動脈硬化症や動脈瘤といった血管病変の発症・進展は、血流の力学場に対する細胞レベルでの応答・適応・再構築の典型的な例である。血管内皮細胞上のせん断応力分布が発症・進展機構に大きく影響していると考えられているが、未だ詳細は明らかになっていない。マクロな視点に立って血流の流体力学を考えた場合、血液の多相性は無視することも可能である。血管の幾何形状、血管壁の変形、心臓の拍動による境界条件は複雑なものであるが、昨今の数値流体力学の発展は目覚しく、解析することが可能となってきた。図1に脳動脈瘤における物質輸送の状況を、図2に脳動脈瘤の成長過程のシミュレーション結果の一例を示す。我々は、こうしたシミュレーションを実施することで、大動脈瘤や脳動脈流の発生と進展の仕組みの解明を目指している。
図1. Distribution of ATP concentration around an aneurysm occurs at a vent artery
図2. Simulation of the progression of a cerebral aneurysm due to wall shear stress oscillation
血液は血球等の有形成分と血漿とからなる混相流体である。白血球や血小板の体積率は1%以下であるのに対し、赤血球の体積率(ヘマトクリット)は40-45%程度もあり、有形成分の大部分を占めている。そのため、血液のレオロジー特性や、血液中の物質輸送において、赤血球の運動は重要な役割を果たしている。赤血球の直径は約8μmであり、大動脈の直径に対しては十分小さいため、大動脈や心臓における血流解析においては、血液を均質な流体と仮定することが一般的である。しかしながら、直径100μm以下の小血管や毛細血管では血液を均質と見なせず、流路内で赤血球がどのように分布、変形、干渉するかが重要となる。よって、小血管や毛細血管内の流れを予測し解析するためには、血流の微細構造をきちんと記述できる数値解析手法が必要である。
我々はこうした小血管や毛細血管内の血流を解析するため、幾つかの計算手法を提案している。1つ目は、赤血球の変形を膜のエネルギー最小化問題として取り扱う手法[1]であり、赤血球膜の弾性、曲げ剛性等の材料力学的な特性に対応した、赤血球の変形をシミュレーションすることに成功している。さらに、多数の赤血球が干渉しながら流れる小血管内の血流の数値シミュレーションにも成功しており、約16000個もの赤血球の運動を、地球シミュレータにて解析した。(図3参照)こうした解析により、赤血球の変形能や相互干渉が微小循環における圧力損失等にどのような影響を及ぼすか予測できるため、微小循環疾患の病因究明や薬効評価への応用が期待される。
図3. Motion of a large number of red blood cells in a small artery
もう1つの手法として、粒子法において、粒子間にばね要素を取り入れて赤血球膜を表現する手法を提案している[2]。この手法の利点は、粒子間の相互作用を変化させることで、流体のみならず、弾性体などの様々なレオロジー特性を表現できることである。この手法を応用し、マラリア感染赤血球の微小循環内の流れをシミュレーションした結果を図4に示す。マラリアに感染した赤血球は、内部にマラリア原虫が入り込んで増殖することにより、赤血球の材料力学的特性が変化する。一般的に、感染赤血球は正常赤血球に比べ変形しにくくなり、血管内皮細胞と接着し易くなる。こうした感染血液が、微小循環の流れや圧力損失にどのような影響を及ぼすのか、本研究では調べている。粒子法は、このような複雑な問題に対しても応用が可能である。
図4. Malaria infected blood flow in microcirculation simulated by a particle method
3. おわりに
今後の大きな課題としては、血液循環の制御系、血管の反応・適応・再構築などの、生理的・生化学的な現象を数理モデル化し、シミュレーションに取り入れることが挙げられる。血流解析の成果を血管疾患や血液疾患の病因の解明、予防、治療等に役立てるためには、この問題は越えなくてはならないハードルである。この実現のためには、ナノ・ミクロスケールの生体現象からマクロスケールの現象を構築する、マルチスケール計算生体力学の今後の一層の発展が必要であろう。
文 献
[1] 和田成生, 小林 亮, 日本機械学会論文集A 69, 14-21, 2003.
[2] Tsubota, K, Wada S, and Yamaguchi T. Computer Methods and Programs in Biomedicine 83, 139-146, 2006.